はじめまして、手汗と申します。
僕のブログにアクセスいただきありがとうございます。
「社会人ADHDのサバイバルガイド」では、僕のようなADHDを持つ社会人が抱える問題や大変さなどに対して、大学で研究した情報や、実際にADHDの社会人へインタビューして知った生の情報をベースに、ADHD特性の改善方法や気持ちが楽になるアイデアなど紹介していきます。
(語呂も悪くて長いですが)「ADHDの社会人に必要なのは、「あなたはが辛いのはあなたのせいじゃない」と言ってもらうこと」をモットーに、ブログを更新していきたいと思います。
僕の発信する情報が皆さんのお役に立てればと思います。
ここから先は、僕自身や僕が今後やりたいことについてを紹介していきたいと思います。
僕に興味を持っていただける方は読んでいってもらえると嬉しいです。
僕についての自己紹介:アラサーのコンサル4年目です
続きを読んでいただきありがとうございます。まずは、以下、僕の基本スペックです。
- アラサーで一児(女の子)の父
- コンサル業のサラリーマン4年目
- 社会人向けのオンライン大学(4年制)を6年かけて卒業
- 趣味は料理(きまぐれクック信者で鮮魚大好き)、アニメ(今のマイブームはメイドインアビス)
- 手掌多汗症持ち
好き勝手書きましたが、上記のとおりです。手汗については自分から名乗っているだけでなく、周囲から「手汗の人」と覚えられるくらいには常に手が湿っています。今もキーボードやマウス、スマホは手汗の塩まみれですが、この話題で1時間くらい話して笑いをとれるので、面倒ながらも便利な特長だと前向きに捉えています。
他に僕について特筆できることで言えば、皆さんと同じくADHDを持っているところでしょうか。
経歴としては、ざっくり以下の通りです。
- 10年前:高校を卒業し、やりたかったボランティアに従事
- 7年前:社会貢献をする手段を身に着けるため、オンライン大学へ入学。並行してステーキ屋のバイトででフルタイム並みに働き始め、だんだん自分が学生なのかフリーターなのかわらなくなる
- 4年前:奥さんと結婚し、初めての就職。大学も続いてはいたが半分落ちこぼれ
- 3年前:仕事での失敗が積み重なったことをきっかけに心療内科を受診し、ADHDが発覚
- 2年前:一念発起して、大学卒業に向けて本気で単位取得を目指す
- 1年前:無事に大学を卒業
- 今年:娘が生まれ、一児の父となる
発達障害を持つ方の中には波乱万丈な経歴をお持ちの方を見かけますが、僕の場合は子どものこと以外は無計画に、気の向くままに過ごしてきているだけで、世間を舐め腐ったダメな大人の典型例です。
僕のADHDについて:不注意優位型で、3秒でなんでも忘れます
僕は不注意優勢型のADHDで、僕自身把握しているところだと、不注意と衝動性が言動に出てくることが多いほうかなと思っています。
普段の生活で特に困っているもので言うと、「物忘れが激しく、仕事の抜け漏れが多い(その癖、あまり重要でないことはやたら覚える)」「何度注意されてもケアレスミスがなくならない」「外出前に始まるモノ探し(結局忘れ物もする)」「大人数の中では会話が聞き取れない」「会議の話が入ってこない」「やる気の波が激しい(ある時はなんでもできるけど、無いときは仕事以外は全てを放棄し始める)」「気になったことがあると思考がそのことで急に支配される」といったところでしょうか。正直、挙げるとキリがないですね。
僕がADHDの診断を受けたのは、社会人になってからでした。
きっかけは僕が社会人になって暫くしたころ、僕が何度か注意されているケアレスミスを改善できずにいた(というよりミスがあることは当たり前だと思っていた)中、周りの同僚はミスを指摘されている様子が全くなかったことに気づいた時でした。さらに数か月後、集中力があまり保てないこと、仕事の優先順位をいくらやっても組み立てられないことにも気づきました。そのうち、同僚との差が開き始めたころに「僕ってなんでこんなにできないんだろ?」と思ったときに見つけたADHDチェック表で疑いを持ち、受診してADHDという診断を受けました。
振り返れば思い当たる節はいろいろありました。私生活でも小さいころから忘れ物が多かったり、思い浮かんだことを考えなしにすぐ口にしてしまうことが災いして付き合いがうまくいかなかったり、いろいろその特性は表に出ていたんだなと改めて実感します。さらに、両親・兄弟の大半が発達持ちと、なるべくしてADHDになったんだなとも思えます。
もちろん、診断を受けたからすべて生活を改善出来て何も問題はなくなった!とはならず、その後のほうが苦労していたと思います。ADHDについて認識したことで、改善方法を調べらるようになったのに、それが全く身につかないことへのストレスや、自分の問題のどこまでがADHDによるものか困惑するようになりました。
業務上、一番迷惑をかけてしまう直属の上司だけには診断が下りたことを伝えていましたが、あまり理解をしてもらえなかったように感じています(当時の僕がそう感じただけかもしれませんが)。そういった問題があるのであれば対策を講じて実践するようにという指示があったくらいでした。
弁解すると、上司は面倒見がよく、ちゃんと仕事は出来ていると評価してくれている方で、僕自身とても尊敬している方です。
今になって思えば、上司に何を求めてるんだと少し僕自身に呆れる部分もありますが、改めて振り返ってみると、身近に理解者が欲しかったんだなと思います。診断を受けてから、自分の中で健常者と発達持ちという線引きと自分が発達持ちの側にいることに気が付きました。周りは何も変わってないのに、新しい環境に身を置いているという不思議な状況に混乱していました。
ADHDについて広めたい理解:コントロールできない物忘れ
漠然と思っていることですが、ADHDの一番の脅威は「短期記憶が苦手なこと」、つまり、忘れやすいことにあると思います。ADHDの特性のせいで、大事なこと、特に「ADHDの自分を変える!」という強い決意すら忘れて、さらに衝動的な興味に上書きされて自分が成長できなくなることが恐ろしいと思うと同時に、自分の成長の限界を感じて絶望することがあります。
余談ですが、私が最近見た「ジョジョの奇妙な冒険」では、4つ以上のことを覚えようとすると古い一つは忘れるようにさせるスタンド能力が出てくるのですが、主人公や仲間がその能力に苦しめられ、無気力になっていく様子は、外出の準備をしているときの僕そのものでした。何かをしようとすると一つ何かを忘れることを繰り返し、だんだん準備が面倒になっていくときの心境が主人公のその時の心境と完全に一致して、忘れることの恐ろしさを思い知らされたような気がします。(それを表現できる荒木先生、パねえっす…)
僕自身のハイライト:6年かけてオンラインの大学を卒業しました
ADHDで生活がうまくいかなかった僕ですが、6年をかけて何とかオンラインの大学(4年制)を卒業することができました。大学自体はすべてPCだけで受講できるものでしたが、入学当初はそれがADHDを持つ人にとって大きな壁になると思っていませんでした。
大学に入った経緯を説明しますが、僕は高校卒業後、数年間ボランティアに携わっていました。内容は特殊で説明しづらいので割愛しますが、ボランティアを終えた後の僕は社会貢献へのやる気で満ちており、世の中を良くするような生き方や仕事に就いていきたいと思っていました。
誰かの何かの役に立ちたいという曖昧な正義感を糧に、社会貢献の方法について自分のイメージに合うものを探していました。教師や心理カウンセラーなど気になるものもありましたが、一番理想に近かったのが、社会問題への解決をビジネスでアプローチしていく社会起業家でした。そのころに偶然見つけた、AO入試で入れる経営学科のオンライン大学を見つけて、即決で受験し、入学が決まりました。入試を受けることについては、大学の広告を見て即日で決断していました。そこからが地獄の始まりだとも気付かずに…
大学のシステムはシンプルで、動画を配信+理解度チェックで出席確認して、課題提出で成績が出てくるようなものでした。社会人向けなので、時間の融通が利いて自分のペースで勉強ができるようなシステムになっています。言い換えれば、普通の大学のように拘束時間や勉強する場所が定まっていない分、自分の意志で授業を受けないといけないわけです。ちなみに余談ですが、僕は進研ゼミを受講していた3~4年のうち、すべて完了できた月は数えるほどでした。
入学直後はやる気(という名の衝動性)が僕を突き動かしていたけど、ギリギリそのやる気を保ち続けて達成した最初の半年のフル単以降、取得する単位は半期ごとに落ちていきました。次第にやる気が保てなくなり、バイトや趣味に時間を浪費し、フリータのように過ごす時間が増えました。丸々1年分、学費をドブに捨てたこともあります。また、社会人の学生は自分のキャリアアップを目指してやる気に満ちている人が多く、なんとなく社会奉仕をしたいけどやりたいことが定まらない僕は同級生との能力の差が開いていきました。その結果、同級生が学びを糧にいろいろなことに挑戦する中、僕は目的もなく授業に出席し、特に頑張ることなく学費を支払っているような状況でした。
結局、僕が卒業に向けて頑張る気になったきっかけは、「自分の人生を前に進めたい」「これ以上奥さんを不安にさせたくない」という思いがあったからでした。結婚後の僕ら夫婦は子どもを望んでいましたが、子育てをしながら学生を続けるのは容易ではないことを理解していたので、子どもを迎えるのは僕が卒業してからだと、結婚前から2人で決めていました。大学を辞めるという選択もありましたが、奥さんが僕に対して前向きな期待を持ってくれたので、その期待に応えようと思い、卒業に向けて全力を尽くすことを決意しました。
大学へのやる気を失って以降は、1年間で10単位を取れれば上出来というレベルでした。しかし、卒業を目標に掲げてからは、卒業が先延ばしになる(=子どもを迎えるのがまた先になって奥さんが悲しむ)恐怖がかえって後ろ盾になり、私生活を改めることができました。苦手な優先順位付けやスケジュール管理に僕の全精力を注いで、毎日受講の進行に遅れやリスクが無いかを念入りに確認するようになったことで、単位を落としてしまうことが格段に減りました。普段の生活の中でも、衝動性に支配されない過ごし方を模索・実践してきたことで無駄な時間を減らすこともできました。
「卒業が先延ばしになる」という恐怖があったおかげで、最後の半年は入学直後以来のフル単+高い成績で卒業を迎えることができました。卒業まで合計6年も要してしまいましたが、最後の1年は本気で取り組んだ分、学びや今後の僕自身の展望など、得られるものが多かったように感じています。また副産物として、ADHDの特性をうまく制御して生活する方法を学びと実践で習得することができ、仕事での評価も上がるようになりました。経験で得られたADHDの仕事術については、ぜひ皆さんにも共有していきたいと思っています。
今後の展望:ADHDの社会人向けコミュニティや生活支援サービスを作りたい
僕はブログを足掛かりに、ADHDの社会人向けの事業を立ち上げたいと考えています。
僕は大学の卒論で、ADHDの社会人を支援する事業計画の作成をしていました。一般の大学はあまりよく知らないのですが、社会人向けの経営学科の大学なので、そのような卒論の形式が一般的でした。
調査やインタビューに加えて市場分析をしながら、ある程度現実的な計画を作成して提出することができました。
卒業後に奥さんの妊娠がわかって忙しくしていましたが、卒論で事業計画を作成する過程で再燃した社会貢献への意欲や、自分のようにADHDで悩む人の助けになりたいという思いが捨てられず、衝動的にブログをはじめてみました。ちなみに、ブログも事業計画に組み込まれていたので、「ふと思い立って、温めていた計画に着手し始めた」といった心境です。出産直後でこの忙しいタイミングでやっている分、自分がADHDだと思い知らされますが(笑)。
僕は今後、ブログを運営しながら、ADHDの社会人同士が交流できるコミュニティを作ろうと思っています。卒論のインタビューを経て、ADHDの方、特に発達障害についてクローズで就労をされている方は、自分の苦しみを理解してもらえないという多大なストレスを抱えていることがわかりました。
職場では失敗を繰り返してしまうものの、「自分がADHDであるから配慮してほしい」と打ち明けることで待遇が変わることを恐れているのです。また、僕自身も経験しましたが、待遇は変わらないものの理解してもらえないことへの恐怖もあります。
僕はそのような人たちが、自由に日々の辛いことを話せる環境が必要だと思っています。傷の舐め合い上等で、共感してもらえる環境で自分の苦しみを打ち明けられるような場所があることで、互いに励まし合うことができます。打ち明けることがADHDに関係ないものであっても、本人にも落ち度がある場合でも、「あなたは大変だったんだね」という言葉を、まずは僕自身が言ってあげたいと思っています。コミュニティを通して、ADHDがあっても辛い環境に身を置くことを選んでいる人たちが、少しでも立ち直れるよう支援したいと考えています。
また、将来、具体的に生活習慣を正すというアプローチでADHDの改善を支援していきたいと考えています。ADHDの特性を抑える近道として、十分な睡眠や運動といったことが有効であることは様々な研究で証明されています。しかし、ADHDの特性上、規律のある習慣を作るということの難易度はかなり高いものです。彼らに必要なのは、改善の選択を続けられるよう助けてくれる存在だと思っています。僕自身も奥さんや周りからの励ましがあって卒業できたという経緯がある分、一人で睡眠や運動といった習慣作りは容易ではないことがわかっています。
実現するハードルが高いですが、僕は習慣づけを助けるために、伴走型でコーチングをしてみたいと考えています。寝るときには「スマホを遠くに置いて寝ろ!」と伝え、朝になったら「筋トレかランニングをしろ!」と、なるべく直接会話をしながらサポートができたらいいなと思っています。
コミュニティについては実現できそうですが、伴走型コーチングは、ブログやコミュニティの運営が上場であれば、という風に思っています。どちらも頑張ってみながら最終的に実現させようと思いますので、乞うご期待です。
最後に
長くなってしまいましたが、一部でも読んでくださった方、本当にありがとうございました。
僕自身、今やっていることが僕自身の熱意なのか衝動性なのかわかりませんが、始めたことをうまく継続して、ADHDの方の役に立てればと思っています。気に入っていただけたら、まずはブログのファンになっていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
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